今回は、「心のバリアフリー」についての私見を書きたいと思います。
「心のバリアフリー」よく目、耳にする言葉。
福祉は老人や障害者だけにあるのものではなくみんなに関係するものですよね。
社会政策の中には、医療、保健、雇用、教育、住宅、まちづくり、更生保護といった制度、サービスがありますが、その全てに福祉政策は関わっています。
話を「心のバリアフリー」に戻します。
先日こんなことがありました。
実は今年度子どもの通う中学校でPTA副会長をさせてもらっているんですが、正直な所、私が住む地域の学校は古い建物なので、物理的なバリアフリーで1番困るのは学校なんですよね。
通常PTAの役員会等は、2.3階の教室を使うんですが、先生の心遣いで1階で役員会など開催してくれています。こちらからお願いしたわけではなく、そうしてくださっていて、とても助かります。
「心のバリアフリー」を感じます。
僕が考える「心のバリアフリー」って予め助けて欲しいことを全部伝える。じゃなくて、困った時に「困った。」「助けて。」を都度言える関係性じゃないかなと思います。
じゃあそう言う関係性を相手と築くと言う意味では、自分側の「心のバリアフリー」が必要なんじゃないかと今回のことで改めて思いました。
これって障害の有無に関わらずかなと。
障害がなかった頃も「困った。」「助けて。」と言いたかった時、言ったこともありました。(障害がなかった頃に比べて「困った。」「助けて。」を言う機会は増えたけど)
社会政策、福祉と同じく「心のバリアフリー」な社会になれば、もっと皆んなが暮らしやすくなるなと思いました。
そのために、助けてくれた人も「やって良かった」と思ってもらえるように「助けてくれてありがとう」を伝えていこうと思います。